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東京地方裁判所 平成9年(ワ)22108号 判決

グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国

ミドルセックス グリーンフオード バークレー・アベニュー

グラクソ・ウエルカム・ハウス

原告

ザ・ウエルカム・ファウンデーション・リミテッド

右代表者

レスリー・ジエーン・エドワーズ

右訴訟代理人弁護士

窪田英一郎

右補佐人弁理士

吉田聡

東京都中央区新川一丁目二三番一号

被告

日清製油株式会社

右代表者代表取締役

秋谷淨惠

東京都世田谷区代田六丁目六番二五号

被告

小林製薬工業株式会社

右代表者代表取締役

小林康宏

右両名訴訟代理人弁護士

花岡巖

新保克芳

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求の趣旨

一  被告日清製油株式会社(以下「被告日清製油」という。)は、平成一一年における後発品の薬価基準収載日の翌日まで、別紙一「物件目録」(一)及び(二)記載の各製剤(以下、それぞれを「被告製剤(一)」及び「被告製剤(二)」といい、両者を「被告製剤」と総称する。)を製造し又は販売してはならない。

二  被告小林製薬工業株式会社(以下「被告小林製薬」という。)は、平成一一年における後発品の薬価基準収載日の翌日まで、被告製剤(一)を販売し、被告製剤(二)を製造し又は販売してはならない。

三  被告らは、平成一一年一一月二日まで、アシクロビルを有効成分とし、「単純庖疹」又は「骨髄移植における単純ヘルペスウイルス感染症(単純庖疹)の発症抑制」を薬効とする製剤につき、製造承認申請、かかる申請に関する資料作成のための試験、剤型検討のための試験又は製造若しくは販売をしてはならない。

四  被告らは、平成一二年五月一一日まで、アシクロビルを有効成分とし、「帯状庖疹」を薬効とする製剤につき、製造承認申請、かかる申請に関する資料作成のための試験、剤型検討のための試験又は製造若しくは販売をしてはならない。

五  被告らは、平成一二年六月一五日まで、アシクロビルを有効成分とし、「水痘」を薬効とする製剤につき、製造承認申請、かかる申請に関する資料作成のための試験、剤型検討のための試験又は製造若しくは販売をしてはならない。

第二  事案の概要

本件は、原告が被告らに対して、

(一)  医薬品の製造承認申請のための試験に原告の特許発明に係る物質を使用したことは特許権侵害行為となり、これにより得た製造承認に基づいて特許権存続期間満了後に被告らが被告製剤を製造販売することが不法行為になると主張して、右期間満了後の一定期間についての被告製剤の製造及び販売の差止めを(請求の趣旨第一項及び第二項)、

(二)  特許権の存続期間が延長された薬効に関し、延長された存続期間中に当該薬効について被告らが製造承認申請のための試験を行うことなどが特許権侵害になると主張して、その差止めを(請求の趣旨第三項ないし第五項)

求めているのに対し、被告らが、製造承認申請のための試験は特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当するので、特許権の効力が及ばないなどと主張して、請求棄却を求めている事案である。

一  争いのない事実

1 原告は次の特許権(以下「本件特許権」という。)の特許権者である。

(一)  発明の名称 置換プリン

(二)  出願年月日 昭和五一年三月一日

(三)  出願番号 昭五一-二二〇四九号

(四)  出願公告年月日 昭和五六年八月三日

(五)  出願公告番号 昭五六-三三三九六号

(六)  登録年月日 昭和五七年三月三一日

(七)  特許登録番号 第一〇九〇八二〇号

2 本件特許権の特許請求の範囲1項の記載は別紙二「特許請求の範囲」記載のとおりである(これに記載された発明を、以下「本件特許発明」という。)。

3 本件特許発明のうち、特許請求の範囲1項の式中のXを酸素(O)、R1及びR5をヒドロキシ(OH)、R2をアミノ(NH2)、R3、R4及びR6を水素(H)とする物質をアシクロビルという。アシクロビルは、世界で初めて人体の正常細胞を傷害することなくウイルスの複製のみを阻害することを可能にした一般臨床用の抗ウイルス剤である。

4 本件特許権の存続期間の満了日は、平成八年三月一日であったが、アシクロビルについては、次のとおり存続期間の延長登録がされた。

(一)  「単純庖疹 骨髄移植における単純ヘルペスウイルス感染症(単純庖疹)の発症抑制」(ただし、「単純ヘルペスウイルスに起因する下記感染症 免疫機能の低下した患者(悪性腫瘍・自己免疫疾患など)に発症した単純庖疹」を除く。)の用途につき、延長の期間三年八月一日(平成一一年一一月二日まで)

(二)  「帯状庖疹」(ただし、「水痘・帯状疱疹ウイルスに起因する下記感染症 免疫機能の低下した患者(悪性腫瘍・自己免疫疾患など)に発症した帯状庖疹」を除く。)の用途につき、延長の期間四年二月一〇日(平成一二年五月一一日まで)

(三)  「水痘」(ただし、「水痘・帯状庖疹ウイルスに起因する下記感染症 免疫機能の低下した患者(悪性腫瘍・自己免疫疾患など)に発症した水痘」を除く。)の用途につき、延長の期間四年三月一四日(平成一二年六月一五日まで)

5(一) 被告日清製油は、被告薬剤(一)につき、平成八年三月一五日に厚生大臣から製造承認を得、平成九年七月一一日に薬価基準の収載を受けて、これを製造販売している。また、被告小林製薬は、被告日清製油から被告製剤(一)を購入し、これを販売している。

(二)  被告らはそれぞれ、被告製剤(二)につき、平成九年三月二七日に製造承認を得、同年六月二三日に薬価基準の収載を受けて、被告日清製油において被告製剤(二)を製造し、被告小林製薬がこれを販売している。

(三)  被告日清製油は、本件特許権の存続期間中に、被告製剤(一)の製造承認申請の際に提出すべき資料を作成するために、アシクロビルの原末を使用して試験を行った。また、被告製剤(二)の製造承認は、被告製剤(一)の製造承認に基づいて行われたものである。

(四)  被告製剤は、いずれもアシクロビルを有効成分とするものであり、本件特許発明の技術的範囲に属する。また、被告製剤は、アシクロビルを有効成分とする原告の医薬品(商品名「ゾビラックス」)と有効成分が同一の医薬品であり、いわゆる後発品に当たる。

二 争点及びこれに関する当事者の主張

1  特許権の存続期間中に特許権侵害行為があったことを理由に、存続期間満了後の差止請求が認められるか。

(一)  原告の主張

被告日清製油が、本件特許権の存続期間中に、被告製剤(一)の製造承認申請のためにアシクロビルを使用した行為は、特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当せず、本件特許権の侵害に当たる。また、被告製剤(二)の製造承認も、アシクロビルを使用して申請されたか又は被告製剤(一)に係る申請のために行われたアシクロビルを使用した試験に基づいている。被告らによる被告製剤の製造販売は、右のような特許権侵害により初めて可能になったものである。

他方、本件特許権の存続期間満了後に試験をして製造承認申請を行うとすれば、製造承認を得るまでに通常約一年半を要するので、アシクロビル製剤が薬価基準に収載され、その製造販売が行えるのは早くとも平成一一年度の後発品の薬価基準収載時期である平成一一年七月以降となる。

被告らによる被告製剤の製造販売自体は、本件特許権の存続期間満了後の行為であって、特許権侵害行為そのものではないが、特許権の有効期間中の侵害行為によって可能となったものであり、特許権侵害に起因しているから、民法七〇九条、七一九条の共同不法行為に該当する。

そして、被告らによる平成一一年七月以前の製造販売が許されるとすれば、それは特許権侵害を放任するに等しぐ、歴然たる違法行為を奨励するものであって、開発及び権利の取得に莫大な投資と長い期間を要する医薬品の特許権の価値を著しく減じることになること、製造承認申請のための試験は秘密裏に行われるので、特許権者が事前にこれを差し止める機会がないこと、特許権侵害に当たる試験をしたことにより得た違法な早期参入の利益は、直ちに特許権者の損害を意味し、その額が莫大で回復が著しく困難であることに照らせば、損害の発生を事前に差し止める必要性は高く、不法行為に対する差止請求を認めるべきである。

よって、原告は被告らに対し、特許権侵害がなければ製造販売が不可能であったはずの期間につき、被告製剤の製造販売の差止めを求める。

(二)  被告らの主張

原告は不法行為を理由として被告製剤の製造販売の差止めを請求しているが、本件特許権は既に消滅しており、原告のいかなる権利が侵害されているか不明である。原告は平成一一年七月まで市場を独占できたはずであると主張するが、それは、医薬品の製造承認に日時がかかることによる反射的利益に過ぎず、権利として保護されるものではない。また、被告らの取得した製造承認は、薬事法上に定められた手続と内容を備えた適法なものであるから、これに基づいて特許権の存続期間満了後に被告製剤の製造販売を行うことは不法行為を構成しない。そして、特許法による差止請求権は特許権の存続期間の満了とともに消滅するのであり、その後に一般不法行為を理由とする差止請求が認められる余地はない。

したがって、特許権の存続期間満了後の差止請求は認められないから、請求の趣旨第一項及び第二項の請求は棄却を免れない。

2 医薬品製造承認申請に必要な資料を得るための試験が、特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当するか。

(一)  原告の主張

(1)  特許法の目的は「発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」ことであり、技術の進歩を目的とする試験研究を妨げるべきではないという同法六九条一項の立法趣旨に照らすと、右条項にいう「試験又は研究」は、技術の改良や発展等の公益を目的とするものに限られ、商業的な目的の試験研究はこれに該当しないとすべきである。そして、後発品という新薬と同一の有効成分並びに用法・用量及び効能・効果を有する薬品の製造承認申請のための試験は、新薬と同等品であることを確認することだけが目的であり、しかもその結果が第三者に公開されることはないから、技術を進歩に導く新しい知見や情報を発見するものではない。むしろ右試験は後発品メーカーが製品サンプルを製造して、その発売を準備する行為にすぎないのであって、これを適法とするのは特許法の趣旨目的に反することとなる。

(2)  このことは、後発品の製造承認申請のための試験につき、オランダ王国の最高裁判所はこれが特許権侵害になると判示していること、アメリカ合衆国では右行為が特許権を侵害しない旨を法律の明文で定めているところ、右米国法については、特許権者の正当な利益を不当に害してならない旨規定する世界貿易機関(WTO)の知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPs協定)に違反しているとの批判がされていることなど、諸外国の状況からも裏付けられる。また、新薬に係る特許権の存続期間延長制度は、特許権者が薬事法の要請により利益を享受できない期間につき、一定の短期間に限り特許期間の回復を認める制度であり、後発品のための試験を適法化する根拠とはなり得ない。特許期間満了後も後発品の製造承認手続の期間中は特許権者が市場を独占できることになるのは、特許権の正当な行使の結果であって、その存続期間を事実上延長する不当なものではない。そして、医薬品の分野では新薬の研究開発に莫大な時間と費用がかかることを考慮すると、特許権の行使を阻害して安価な後発品を提供することよりも、特許権者を強く保護して新薬開発の意欲を高める方が、公共の利益に資するというべきである。

(3)  右に加え、本件特許権の存続期間が延長された薬効については、医薬品製造業者が品目追加等に係る薬事法所定の許可を取得するに当たり、厚生省薬務局長通知の「バリデーション基準」が適用されるところ、同基準によれば、右許可を得るためには、「予測的バリデーション」として、実生産規模でのバルク製品(包装すれば直ちに販売可能な製品)を製造することが必要とされる。この製造は特許権の存続期間中にされるのが通常であり、しかも、この製品は製造承認取得後に販売できるとされているから、予測的バリデーションのための製造は、商業的生産行為そのものであって、これが特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当する余地はない。

また、平成一〇年一月一日以降に行われる後発品の製造承認申請に適用される生物学的同等性試験についての厚生省のガイドラインによれば、実生産ロットの一〇分の一以上の規模での製剤の製造が要求されるが、これは後発品が商業的規模で製造できるかという製造上の技術が問題にされているのであるから、右試験は特許権の効力が及ばない「試験又は研究」ではあり得ない。

したがって、本件特許権の存続期間が延長された薬効について製造承認申請のための試験を行うことは、右の意味からも特許権侵害となる。

(4)  以上のとおり、後発品の製造承認申請のための試験は特許法六九条一項に該当しないから、被告製剤の製造承認申請のために試験を行ったことは本件特許権の侵害に当たる。また、存続期間が延長された薬効について製造承認申請のための試験を行えば同様に本件特許権の侵害となるから、原告は特許法一〇〇条一項によりその差止めを求め得る。

(二)  被告らの主張

(1)  特許法六九条一項の文言上「試験又は研究」に何らの限定が付されていないことや、発明者に対して一定期間に限って発明の独占的利用を認めることにより、発明の奨励と、社会一般の利益を調整しようという特許法の目的に照らすと、特許権の存続期間中の特許権者による収益の独占を損なうこととなる試験以外は、右条項の「試験又は研究」に該当するというべきである。そして、特許権の存続期間中に競合製品が市場に出回らないことが明らかであれば、特許権者の経済的利益は何ら損なわれないから、特許権の行使を認める理由も必要性もないところ、厚生省の製造承認に関する実務においては、存続期間中に必要な試験を行って製造承認申請をすることが認められ、実際の承認は期間満了後にされているから、存続期間中に後発品が製造販売されることはあり得ない。さらに、右承認後も、薬価基準へ収載されるまでに要する期間は後発品の製造販売はできないから、特許権者の市場独占の権利は守られているといえる。

したがって、後発品の製造承認申請のための試験は右条項の「試験又は研究」に該当する。

また、予測的バリデーションは、医薬品製造品目追加許可申請に必要な検証作業であって、これにより製造された製剤の販売は存続期間満了後にしか行われないから、右と同様に「試験又は研究」に当たる。

(2)  この点につき原告は前述のように主張するが、後発品の製造承認申請のための試験であっても、後発品が先発品と同等であるかどうか判明し、将来にわたる製剤技術の基礎となり得る各種知見や情報が得られるなど、少なからぬ技術の進歩がもたらされ、産業の発達に寄与するといえる。また、医薬品の製造承認の必要から商品販売の開始が遅れることによる特許権者の不利益は、特許期間延長制度によって解消が図られており、存続期間中に期間満了後の後発品の製造販売のための試験を行うことを差し止めなくても、特許法が保護する特許権者の経済的利益に影響はない。さらに、後発品の製造承認申請のための試験が形式的に特許権侵害になるとの理由で差止めを認めるとすると、後発品の参入が遅れることになり、優れた医薬品が安価で広く入手可能となることが妨げられ、国民全体の健康や健康保険財政に多大な悪影響を及ぼすこととなる。特許制度は特許権の存続期間満了後直ちに後発品による競争が開始されることを予定しているのであり、特許権者の市場独占による利益を法律の規定なしに実質的に延長することを認めるべきではない。新薬の研究開発のための投下資本の回収の機会を保障することは、特許権の存続期間中の市場独占によって果たされるのであり、特許権者にそれ以上の不当な利益の追求を許さないことこそ社会公共の利益にかなうものである。

(3)  以上の事情に照らし、被告製剤の製造承認申請のために行われた試験は特許法六九条一項に該当するので、被告らに特許権侵害行為はない。また、仮に右条項に該当しないとしても、形式的な特許権侵害を理由に差止請求権を行使することは権利の濫用であり許されない。

3 存続期間が延長された薬効について、被告らが、製造承認申請を行い、右申請に関する資料作成のための試験を行い、若しくは剤型検討のための試験を行うか、又は後発品を製造若しくは販売するおそれが、存在するか。

(一)  原告の主張

被告らは、本件特許権の存続期間が延長された薬効についても、延長期間満了後直ちに後発品の製造販売を開始するために、延長された存続期間中にアシクロビルを使用した試験を行うおそれがある。特に、前記2(一)(3)のとおり、存続期間が延長された薬効に係る後発品について、被告らが、その存続期間中に、予測的バリデーションのためのバルク製品の製造及び生物学的同等性試験としての実生産ロットの一〇分の一以上の規模での製剤の製造をする蓋然性が極めて高い。

右行為は、本特許発明の実施に当たり、本件特許権を侵害するものであるから、原告は被告らに対し、特許法一〇〇条一項に基づき、本件特許権の存続期間が延長された薬効ごとの存続期間が満了するまでの間、これを薬効とする製剤につき、製造承認申請、右申請に関する資料作成のための試験若しくは剤型検討のための試験の差止めを求めるとともに、後発品の製造若しくは販売の差止めを求める。

(二)  被告らの主張

被告らは、現時点では存続期間が延長された薬効について、後発品として製造承認申請をするかどうか未定である。

また、本件特許権の存続期間は薬効別に延長されているところ、当該薬効の後発品として製造承認申請をする際には、期間延長された薬効の有無に関する試験データは提出しないから、アシクロビルを使用することはあっても、延長の根拠となる薬効の実施はない。したがって、延長された薬効について後発品として製造承認申請する行為は、当該薬効に限って期間延長された本件特許権を侵害するものではない。

さらに、存続期間が延長された薬効についての予測的バリデーションとしてのバルク品の製造は、薬価基準収載の時期と間隔があるため、延長された期間の満了後に行えば足りるのであり、存続期間中にこれを行うことが不可欠であるかのような原告の主張は誤りである。

したがって、請求の趣旨三ないし五項の請求も棄却を免れない。

第三  争点に対する判断

一  争点1(特許権存続期間満了後の差止請求の可否)について

1  原告は、前記第二、二1(一)のとおり、特許権存続期間満了後の被告製剤の製造販売は不法行為に当たるから、右期間満了後の一定期間につきその差止めを求め得ると主張するので、右主張の当否を検討する。

2  不法行為に対する救済は、金銭賠償が原則であり(民法七〇九条、七二二条一項、四一七条)、重大な法益侵害行為が現に行われ、将来にわたっても同様の侵害行為が反復継続されるおそれがあると明らかに認められる場合など、一定の要件の下に不法行為を理由とする差止請求が認められる場合があると解し得るとしても、特許権ないし特許発明の実施品の製造販売による利益は、生命身体のような普遍的な法益ではなく、特許法の規定によってその存続期間内に限定して与えられる経済上の利益であり、かつ、特許権の侵害に対しては特許法に基づく差止請求(特許法一〇〇条)が認められていることに照らせば、特許権の侵害について、これに加えて不法行為を理由とする一般的な差止請求権を認める必要があるということはできない。

しかも、本件においては、仮に原告の主張するように製造承認申請に必要な試験を行ったことが本件特許権を侵害すると評価されるとしても、存続期間が延長された薬効を除いては本件特許権は存続期間の満了により消滅しているから、過去において特許権侵害行為があったことを理由として、本件特許権の消滅した現時点における被告製剤の製造販売が不法行為に該当するということもできない。

したがって、本件特許権の存続期間満了後も被告製剤の製造販売の差止めを求めることができるとする原告の主張は、失当である。

3  以上によれば、争点2について判断するまでもなく、請求の趣旨第一項及び第二項の請求は、いずれも理由がない。

二  争点2(製造承認申請のための試験の特許法六九条一項の該当性)について

1  延長された本件特許権の存続期間中に、本件特許発明の技術的範囲に属するアシクロビルを、期間延長の対象となった薬効について使用するとすれば、これは本件特許発明の実施に当たると認められる。

しかしながら、製造承認申請のための試験は、特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当し、特許権の効力が及ばないと解すべきである。その理由は以下のとおりである。

2  特許法六九条一項の「試験又は研究」の意義について

(一) 特許法は、「発明の保護及び利用を図ることにより、発明を奨励し、もって産業の発達に寄与することを目的とする」ものであり(特許法一条)、特許を受けようとする者に発明の公開を義務づけてその代償として特許権を付与し、特許権者による特許発明の実施の独占を一定期間に限って認め、また、その経過後は何人も自由に当該発明を利用できることを認めることによって、発明の保護と発明の利用との調和を図っている。このように、我が国の特許制度は、特許権者の利益と社会一般の利益との調和を前提としているということができるのであり、したがって、特許法六九条一項の規定の趣旨及び内容についても、右のような特許法及び特許制度の趣旨、目的を踏まえて解釈することが必要である。

(二) 右条項が設けられた趣旨につき、まず「発明の利用」という観点から考えると、特許発明を産業上利用するためには、その準備行為として、試験又は研究によって当該特許発明の技術内容、利用可能性等を確認ないし検討する必要があり、それは当然許容されるべきものと考えられる。そして、試験又は研究として行われる特許発明の実施自体は、通常の場合、特許権者と直接競業する形態でされることはなく、その経済的利益を直接害することはないから、「発明の保護」という点が特に問題になるということは考えられない。このようなことから、特許法は、特許権の効力が及ばない範囲の一態様として、六九条一項の規定を設けたと解される。

(三) 特許発明の実施に当たる試験又は研究の態様としては、特許発明を産業上利用するための準備行為として行われるものとして、〈1〉特許発明を基礎として新たな技術を開発すること又は特許発明に係る技術を次の段階に進歩させることを目的として行う場合のほか、〈2〉特許権者から専用実施権の設定ないし通常実施権の許諾を受けるか否かを決定するための資料を得ることを目的として行う場合、〈3〉特許権の存続期間満了後に当該特許発明を実施するか否かを決定するための資料を得ることを目的として行う場合等があると考えられる。また、特許発明を直接的に産業上利用するための準備行為であるとはいえないが、〈4〉特許権を侵害しないような技術を探索することを目的として行う場合、〈5〉特許発明が従来技術と対比して新規性・進歩性を有しているか否かを確認することを目的として行う場合、〈6〉単に特許発明の技術内容についての知見を得るために当該特許発明について試験又は研究を行う場合等も想定できる。

そして、特許発明の実施としての試験又は研究には、産業上利用するための準備行為であるか否かを問わず、特許発明に係る実施品を分析・調査し、又は、特許発明に係る実施品を試作し若しくは特許発明に係る方法を試用することにより、当該特許発明に係る物又は方法に関する性状、機能、有効性、安全性等について知見を得ること及び特許発明の実施可能性、実施価値を確認、検討することも、その内容として含まれる。また、それが特許発明の産業上の利用を前提としている場合には、試作品等の分析・調査により得られた知見や検討結果が、現実に特許発明を利用し、製品化することになった場合にも、正しいものとして妥当し、通用するか否かを確認、検討しておくことも必要であり、右確認、検討に必要な限度における特許発明の実施も、準備行為としての試験又は研究に含まれるというべきである。

もっとも、発明の保護と発明の利用の調和という観点からいえば、特許法六九条一項に該当するためには、試験又は研究として行われる特許発明の実施が、特許権の存続期間中に、市場において特許権者と直接競業する形態で行われるものでなく、特許権者の経済的利益を直接侵害することがないものであることを要すると解すべきである。

(四) ところで、前記(一)及び(二)において説示したとおり、特許法六九条一項が「発明の保護」と「発明の利用」との調和の一態様として設けられている以上、右規定の「試験又は研究」についても、「発明を奨励し、もって産業の発達に寄与する」という特許法の目的にかなうものであることが求められており、試験又は研究のためにする特許発明の実施に対し特許権の効力が及ばないとしているのも、それが技術の進歩ないし開発に寄与すると考えられていることによるものである。

試験又は研究には前記(三)の〈1〉ないし〈6〉等の目的・態様のものが考えられるところ、右〈1〉の試験又は研究のように、特許発明を基礎として新たな技術を開発し若しくは特許発明に係る技術を次の段階に進歩させることを直接の目的として行うもの、又は具体的・現実的に技術の進歩ないし開発をもたらすものが、右条項に該当することは明らかである。しかしながら、右条項の「試験又は研究」を右のような場合に限定するのは相当でなく、それ以外の目的・態様の試験又は研究であっても、それが何らかの形で技術の進歩ないし開発に結びつく性質又は一般的可能性を有しているものであれば、右条項の「試験又は研究」に該当するというべきである。そして、前記〈2〉ないし〈6〉の目的・態様の試験又は研究も、前記(三)に説示したとおり、当該特許発明に係る物又は方法に関する性状、機能、有効性、安全性等についての知見を得たり、特許発明の実施可能性、実施価値についての検討結果を得たり、また、試作品等の分析・調査によって得られた知見や検討結果が、現実に特許発明を利用し、製品化することになった場合にも同様に妥当し、通用するか否かを確認、検討したりすることによって、特許発明及びそれに関連する技術分野における知見を広げ、あるいは技術水準を向上させるものであり、間接的であっても技術の進歩ないし開発に結びつく性質又は一般的な可能性を有するものと解される。

したがって、特許発明の実施としての試験又は研究は、それが一般的に技術の進歩ないし開発をもたらす可能性を有するものであれば、特許権の存続期間中に市場において特許権者と直接競業する形態で行われて特許権者の経済的利益を直接侵害するものでない限り、特許法六九条一項に該当するものと解するのが相当である。試験又は研究が、技術の進歩ないし開発を直接的な目的としていることや、現実に技術の進歩ないし開発をもたらすものであることは、右条項に該当するための要件となるものではない。

3  製造承認申請のためにする試験の特許法六九条一項の該当性について

(一) 医薬品の製造のためには厚生大臣の承認を得る必要があり(薬事法一四条一項)、その申請に当たっては薬事法施行規則一八条の三所定の資料を添付する必要があるところ、いわゆる後発品、すなわち既に市販されている先発医薬品と有効成分、剤型、用法・用量及び効能・効果がいずれも同じ医薬品について製造承認申請をする場合には、「規格及び試験方法に関する資料」、「加速試験に関する資料」及び「生物学的同等性に関する資料」を添付すべきものとされている。右の各資料を作成するためには、先発医薬品の有効成分と同一の化学物質を自ら試作するか又は他から入手して、これを用いて製剤の形の医薬品を製造し、各種試験を行うことを要するが、右化学物質につき先発品の製造業者等が特許権を有するときは、右行為は当該特許発明の実施に当たることになる。

薬事法が、後発品製造業者に対しても、その製造承認に当たり、一定の年月を要する右各種試験の実施とその結果得られる資料の添付を求め、相当の期間をかけて審査を行うのは、将来後発品を投与されるであろう多数の患者の安全を確保するため、後発品が先発品と品質において実質的に同等であり、同様の有効性及び安全性を備えていることを担保するためであり、後発品製造業者がこれらの試験を行うのは、専ら後発品の製造を薬事法上可能にすることを目的とするものであると解される。

(二) ところで、証拠(乙五、六)及び弁論の全趣旨によれば、物理的及び科学的に同一と考えられる物質であっても、製造の方法や設備等が変わると人間に投与されたときの作用効果が異なる場合があり得ること、先発者が当該化学物質を実際に製造した方法や、製剤のために使用した副原料の出所や製法を後発品の製造業者が知ることはできないことが認められ、これによれば、後発品の製造をしようとする者が製造承認申請に当たり、規格及び試験方法、加速試験並びに生物学的同等性に関する各資料を得るための各種試験を行うに当たっては、製剤化に相応の工夫が必要であり、先発品と品質において実質的に同等の物を得るべく、その知識、技術、経験等に基づいて配合処方を研究、工夫して製剤を製造し、これを用いて各種試験を行うのであり、それによって、先発品と同等の製剤を得るために必要な技術的工夫についての知見や、その技術的工夫により得られる製剤の物理的化学的性質及び品質の安定性についての知見を得ることになると考えられる。

(三) したがって、製造承認申請のための試験は、特許発明及びそれに関連する技術分野における知見を広げるものであり、間接的であっても技術の進歩ないし開発に結びつく性質又は一般的な可能性を有するといえるから、特許権の存続期間中に特許権者と直接競業する形態で行われて特許権者の経済的利益を直接侵害することになるものでない限り、特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当すると認められる。

4  これを本件についてみるに、延長された本件特許権の存続期間中に、被告らが、期間延長の対象となった薬効に係る製剤の製造承認を得た上で、これを製造販売して、原告の経済的利益を侵害するおそれがあることをうかがわせるに足りる証拠はない。したがって、仮に被告らが右期間中に製造承認申請に必要な試験を行うとしても、その行為は特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当し、本件特許権の効力が及ばないというべきである。剤型検討のための試験も、アシクロビルを医薬品として使用する際の具体的条件を探索するための試験であり、右条項に該当するものと認められる。また、製造承認申請行為自体が特許権を侵害するものでないことは、明らかである。

5  この点につき、原告は前記第二、二2(一)のとおり主張するが、右に説示したとおり、特許法の目的及び同法六九条一項の趣旨に照らせば、製造承認申請のための試験は、右条項により特許権の効力が及ぼないとされる「試験又は研究」に該当するというべきである。原告の主張は、採用することができない。

6  以上によれば、請求の趣旨第三項ないし第五項の請求のうち、製造承認申請に関する資料作成のための試験、剤型検討のための試験及び製造承認申請の差止めを求める部分はいずれも理由がない。

三  争点3(存続期間が延長された薬効に係る薬剤を被告らが製造販売するおそれの有無)について

1  原告は、前記第二、二3(一)のとおり、被告らが、本件特許権の延長された存続期間の満了後直ちに延長の対象になった薬効に係る薬剤の製造販売を開始するために、右期間中に、製造承認申請に必要な資料を作成するための試験の一つである生物学的同等性試験として実生産ロットの一〇分の一以上の規模で製剤を製造し、また、医薬品製造許可に必要な予測的バリデーションとしてバルク製品を製造する蓋然性が極めて高く、右バルク製品の製造は本件特許権を侵害すると主張するので、この点につき検討する。

2  まず、生物学的同等性試験に関する主張についてみるに、証拠(甲一七)によれば、平成一〇年一月一日以降に後発品の製造承認申請をする場合には「後発医薬品の生物学的同等性試験ガイドライン」(平成九年一二月二二日付け医薬審第四八七号各都道府県衛生主管部(局)長あて厚生省医薬安全局審査管理課長通知)が適用されること、生物学的同等性試験を行う目的は先発品に対する後発品の治療学的な同等性を保証することにあること、後発品の試験製剤は実生産ロットの一〇分の一以上の規模であることが右ガイドラインで要求されていることが、認められる。

ところで、製造承認申請のための試験は、特許権の存続期間中に後発品を製造販売するなどして特許権者と直接競業しない限り、特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当するものと解すべきことは前記二で説示したとおりであるところ、右ガイドラインによる生物学的同等性試験についても、これによって製剤化に必要な技術的工夫についての知見や後発医薬品の品質、有効性及び安全性に関する知見を得ることができるものであるから、右の試験として製剤を製造する行為は、実生産ロットの一〇分の一以上の規模であっても、右条項の「試験又は研究のためにする特許発明の実施」に適合するものというべきである。

また、被告らが、本件特許権の延長された存続期間中に、延長された薬効に係る製剤につき右試験を行い、それにより製造された製剤を販売して原告の経済的利益を直接侵害するおそれがあると認めるに足りる証拠はない。

したがって、生物学的同等性試験として実生産ロットの一〇分の一以上の規模での製造を行うことが本件特許権を侵害する旨の原告の主張は、採用できない。

3  次に、予測的バリデーションに関する主張について見るに、証拠(甲一六、一八、二〇)によれば、本件特許権の存続期間が延長された薬効に係る製剤について医薬品の製造業者が新たに品目追加等の許可を取得するには、「バリデーション基準」(平成七年三月一日付け薬発第一五八号各都道府県知事あて厚生省薬務局長通知)が適用されること、バリデーションは、製造所の構造設備並びに手順、工程その他の製造管理及び品質管理の方法が期待される結果を与えることを検証し、これを文書にすることによって、目的とする品質に適合する医薬品を恒常的に製造できるようにすることを目的とすること、右の期待される結果とは、目的とする品質の医薬品を製造するため、個々の設備、工程、中間製品及び製品が満たすべき具体的かつ検証可能な規格又は基準をいうこと、予測的バリデーションとは、工業化研究の結果や類似品目に対する過去の製造実績等に基づき、製造工程、製造を支援するシステム及び洗浄等の作業について、医薬品の品質に影響を及ぼす変動要因(原料及び資材の物性、操作条件等)を特定し、その変動要因に対する許容条件が目的とする品質に適合する医薬品を恒常的に製造するために妥当であることを検証することをいうこと、予測的バリデーションの実施項目には、実生産規模での確認、すなわち、当該製造所の構造設備等を用いて、個々の設備、工程、中間製品及び製品の品質等が期待される結果を達成していることを、原則三ロット実生産規模でバルク製品を製造することによって確認することが含まれること、右のバルク製品とは、製造工程のうち、直接の容器への表示又は包装以外の製造工程をすべて終えた中間製品をいうこと、実生産規模での確認を実施した場合、製造したバルク製品は、製造承認及び許可を取得した後は製品として出荷しても差し支えないとされていることが、認められる。

右認定の事実により検討すると、予測的バリデーションは、試作品の分析や調査により得られた知見や検討結果が現実に製品化された場合にも同様に妥当し通用するか否かを確認・検討することを内容とするものであり、一般的に技術の進歩ないし開発に結びつく可能性を有するものということができる。そうすると、前記二2において検討したところに照らし、特許権の存続期間中に右バルク製品が販売されるなどして特許権者の経済的利益を直接侵害しない限り、特許法六九条一項の「試験又は研究」に該当するということができる。

そして、本件においては、被告らが、本件特許権の延長された存続期間中に、延長された薬効に係る製剤を販売して原告の経済的利益を直接侵害するおそれがあることを、認めるに足りる証拠はない。

したがって、予測的バリデーションとしてのバルク製品の製造が本件特許権を侵害する旨の原告の主張も、採用できない。

4  被告らが、延長された本件特許権の存続期間中に、延長に係る薬効を有する薬剤を実際に製造販売した場合には、これが特許権侵害になることは明らかであるが、被告らが右のような製造販売をする可能性があると認めるに足りる証拠はない。

5  以上によれば、請求の趣旨第三項ないし第五項の請求のうち、延長された薬効に係る製剤を製造又は販売することの差止めを求める部分も、理由がない。

四  よって、主文のとおり判決する。

(口頭弁論の終結の日 平成一〇年八月二五日)

(裁判長裁判官 三村量一 裁判官 長谷川浩二 裁判官 中吉徹郎)

(別紙一)

物件目録

(一) 「点滴静注用アシクリル」を品名とする一本につきアシクロビル二五〇ミリグラムを含有する注射剤

(二) 「点滴静注用アシクリルキット」を品名とし、一容器につきアシクロビル二五〇ミリグラムを含有する注射剤と生理食塩液一〇〇ミリリットル又は二〇〇ミリリットルを含有する溶解液とを組み合せた点滴静注用キット

(別紙二)

特許請求の範囲

式(1)

〈省略〉

〔式中Xは硫黄或は酸素であり;R1はハロゲン、アジド、メルカプト、低級アルキルチオ、アミノ、ヒドロキシまたは低級アルキルアミノであり;R2は水素、ハロゲン、アミノまたはアジドであり;R3は水素であり;R4は水素であり;R5は水素、ヒドロキシ、アミノ、ヒドロキシ低級アルキル、ベンゾイルオキシ、または基-〇〇C・R7(但し、R7は場合によりカルボキシ基により置換されていてもよい炭素原子一~四個を有するアルキル基である)であり;そしてR6は水素であり;但しXが酸素であり、R2、R3、R4、およびR6が水素であり、かつR5が水素またはヒドロキシであるときには、R1はアミノまたはメチルアミノではなく;またR2が水素であるときには、R1は塩素ではない〕で示される置換プリン或はその塩。

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